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夏目漱石の死因と最後をわかりやすく解説!最後の言葉は不思議なもの?

夏目漱石の【死因】や【最後の様子】について、短くまとめると、以下のとおりです。

  1. 夏目漱石の死因は、胃潰瘍いかいよう
  2. 1916年(大正5年)12月9日に亡くなった。享年49歳10ヶ月。
  3. 漱石は、小説「明暗」の執筆途中に自宅で亡くなった。

この記事では、夏目漱石の最期の様子について、ひと目で分かるようにまとめました。

夏目漱石の最期と死因について知りたい方にとって、この記事は必ずお役に立つはずです。

これを読んで、夏目漱石の最期についての疑問を、スッキリと解消していただければ幸いです。



専門サイト「最期と死因ドットコム」へようこそ。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしくださいませ。

目次

夏目漱石の【死因】と【亡くなった日】

夏目漱石の【死因】

夏目漱石の死因は【胃潰瘍】。

糖尿病や痔などでも苦しみ、最期は体内出血を起こして亡くなったとされています。

夏目漱石
引用元ウィキペディアより

夏目漱石が【亡くなった日】と【享年】

【1916年(大正5年)12月9日】

享年49歳10ヶ月

夏目漱石の【最後の様子】は?

夏目漱石は、長編小説【明暗】を執筆途中に、自宅で亡くなりました。

漱石は亡くなる6年前に、伊豆の修善寺で胃の疾患により、大量に吐血しているのです。

このときに漱石は生死の境をさまよい、のちに【修善寺の大患】と呼ばれるほどの、命の危機に瀕したのです。

これ以降、漱石は胃潰瘍いかいようや糖尿病に苦しめられ続けたのでした。

最期は胃潰瘍により、自宅で家族に見守られて亡くなったのです。


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夏目漱石の最後の言葉とその意味を解説

夏目漱石の最後の言葉は、四女・愛子に対する

「いいよいいよ、もう泣いてもいいんだよ」

というものだったといわれています。

漱石は、寝間着の胸元を開いて

「ここに水をかけてくれ。死ぬと困るから」

と、よくわからない言葉を叫んだとされています。

それを聞いた漱石の四女・愛子が泣いてしまうと、それを見た漱石が

「いいよいいよ。もう泣いてもいいんだよ」

と言って、涙する愛娘を慰めたとのことで、これが最期の言葉だったといわれています。

しかし、別の説もあり、夏目漱石の息子・夏目伸六さんのよれば、

「なにか食いたい」

と言い、医師の許可を得て、ぶどう酒をひとさじ飲ませたところ

「うまい」

と言って、それが最後の言葉になったともいわれています。


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夏目漱石の子孫はどうなったのか?

夏目漱石のお孫さんに半藤末利子はんどうまりこさんという方がおられます。

半藤末利子さんは随筆家で、「夏目家の糠(ぬか)みそ」や「漱石夫人は占い好き」などの作品を記しておられます。

また、半藤末利子さんのご主人は、ジャーナリストで作家の半藤一利(はんどう かずとし)さんです。

作家・半藤一利さんといえば、俳優の役所広司さん主演で映画化された「日本のいちばん長い日」という作品を記したお方です。

半藤一利さんは、2021年1月12日に、老衰でお亡くなりになられました。享年90歳。


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夏目漱石の死後に起こったことを、ザッと解説

漱石が亡くなったあと、解剖されて、脳が東京帝国大学へ寄贈され、現在も東京大学医学部に保管されています。

それだけではありません。

漱石と言えば、1000円札の肖像になった方として有名です。

1984年(昭和59年)から2004(平成16年)までつかわれた1000円札の肖像として、夏目漱石が選ばれたのです。

また、漱石の著書「こゝろ」は、新潮文庫版が2016年時点で718万部を記録し、日本で一番売れている本といわれています。


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まとめ

この記事をまとめますと、以下の通り

この記事を短く言うと

 

1,夏目漱石の『死因』は?

胃潰瘍(いかいよう)

 

2,夏目漱石が【亡くなった日時】は?

1916年(大正5年)12月9日

享年49歳10ヶ月

 

3,夏目漱石の【最後の様子】とは?

漱石は、小説「明暗」の執筆途中で亡くなった。

 

4,夏目漱石の最期の言葉とは?

「いいよいいよ。もう泣いてもいいんだよ」

または

ぶどう酒を飲んで「うまい」という言葉が、最期の言葉という説もある

 

5,夏目漱石の子孫とは?

「日本のいちばん長い日」の著者・半藤一利さんの妻で随筆家・半藤末利子(はんどう まりこ)さんは、夏目漱石の孫に当たる

 

6,夏目漱石の死後に起こったこととは?

漱石の死後、解剖されて脳は東京帝国大学へ寄贈され、今も東京大学医学部に保管されている。

1984年から2004年まで、1000円札の肖像として、夏目漱石が採用されていた。

以上となります。

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ありがとうございました。

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