MENU

藤原惟規の死因と最後をわかりやすく解説!子孫のゆくえとは

藤原惟規ふじわらのぶのりの【死因】や【最後の様子】について、短くまとめると、以下のとおりです。

  1. 藤原惟規の死因は病死
  2. 西暦1011年(寛弘8年)に亡くなった、享年38歳
  3. 死ぬ前に、辞世の句を残したが、最後の一文字を記せなかった
  4. 「みやこには 恋しき人の あまたあれば なほこのたびは いかむとぞおもふ」という辞世の句または言葉を残した
  5. 藤原輔子という子孫がいる
  6. 死後、三条天皇の即位、という歴史的事件が起こった

この記事では、藤原惟規の最期の様子について、ひと目で分かるようにまとめました。

藤原惟規の最期と死因について知りたい方にとって、この記事は必ずお役に立つはずです。

これを読んで、藤原惟規の最期についての疑問を、スッキリと解消していただければ幸いです。



専門サイト【最期と死因ドットコム】へようこそ。

どうぞ、ごゆっくりお過ごしくださいませ。

目次

藤原惟規ふじわらのぶのりの【死因】と【最後の様子】

藤原惟規の【死因】

【結論】藤原惟規の死因は、病死

藤原惟規の死因は病死です。

くわしくはあとで解説しますが、亡くなる直前に、僧侶から出家をすすめられ、これを拒絶。

力を振り絞り、辞世の句をつくったものの、最後の一文字を書くことができずに亡くなったといわれています。


スポンサーリンク


藤原惟規が【亡くなった日】と【享年】

【結論】西暦1011年(寛弘8年)、享年38歳

藤原惟規が亡くなった日は、はっきりしていません。

1011年に亡くなったということだけしかわからないのです。

紫式部との年齢差が不明なので、藤原惟規が、紫式部の兄なのか弟なのか、はっきりしていないのです。

2024年の大河ドラマ「光る君へ」では、弟という設定になっています。


スポンサーリンク


藤原惟規の【生涯年表】

藤原惟規の生涯を、ザッと解説いたします。

西暦 出来事
974年頃 藤原惟規、誕生
991年頃 文章生となる
1004年 少内記を務める
1007年 六位蔵人、兵部丞に任ぜられる
1011年 従五位下に叙爵。父・藤原為時が越後守として越後国へ赴任するのに同行。同地にて死去

 


スポンサーリンク


藤原惟規の【辞世の句】と最後の様子

【結論】藤原惟規の辞世の句は

みやこには 恋しき人の あまたあれば なほこのたびは いかむとぞおもふ

です

現代語訳すると、以下の通りとなります。

都には、恋しく思う人がたくさんいるので、今回のこのたびたび)は、やはり生きて帰りたいなとおもう

藤原惟規は、父・藤原為時が北陸へ赴任するため、それに同行していました。

惟規は、その旅の途中で病気になってしまったのです。

いくら手を尽くしても惟規は良くならず、僧侶が枕元に寄って、出家と剃髪をすすめたといいます。(当時は出家しないと極楽へ行けないと考えられていた)

「このままでは地獄行きになります。

中有ちゅううという、次の生まれ変わり先が決まらない期間は、鳥もいない荒野で一人たたずむことになります。

そのときの心細さや、人恋しさ、耐え難いそれらの苦痛を考えてごらんなさいませ。

だからこそ、仏におすがりなさい」

すると惟規は

「中有の空には、紅葉もみじも無く、鈴虫の声も聞こえないのだろうか?」

と僧侶に尋ねます。

僧は、なぜそんなことを尋ねるのですかと聞き返します

すると

「もしも紅葉があり、鈴虫の音が聞こえるなら、次の生まれ変わりまでのあいだも、退屈せずに中有で過ごせそうです。」

と答えたのでした。

すぐさま出家するというと思っていた僧侶は、惟規が正気を失っていると思い、逃げ帰ってしまいました。

惟規は、父・為時にすがるようにして、筆を欲しがりました。

為時が筆と紙を渡すと、サラサラと歌を書き始めました。

みやこには 恋しき人の あまたあれば なほこのたびは いかむとぞおも・・・」

最後の一文字を入れる前に、惟規は力尽き、亡くなりました。

父・為時は、惟規が記したかっただろう、最後の一文字である「ふ」を追加してあげたといいます。

藤原為時は、いつもこの息子の歌を読んでは涙を流したといいます。

ついには歌が記された紙は、涙で濡れて破れ、読めなくなってしまったとか。

為時は、その後、娘の紫式部にも先立たれています。

紫式部
引用元Wikipediaより

そして為時はその後、藤原道長の息子に詩を送った後、消息が途絶えることとなるのです。

惟規と紫式部の父・藤原為時の最後は、以下の記事をどうぞ

あわせて読みたい
藤原為時の死因と最後をわかりやすく解説!子孫のゆくえとは 紫式部の父親・藤原為時の【死因】や【最後の様子】について、短くまとめると、以下のとおりです 藤原為時の死因は、不明 1029年頃に亡くなったと考えられている。...


スポンサーリンク


藤原惟規の【子孫】は、どうなったのかを解説

【結論】藤原惟規の子孫には、平安時代末期の藤原邦綱と、その娘・藤原輔子という人物がいる

惟規の子孫には、平清盛から信頼され、権大納言まで出世し、五条大納言と呼ばれた藤原邦綱という人物がいます。

また、その藤原邦綱の娘で、悲劇の女性として知られる藤原輔子も、当然ですが惟規の子孫です。

藤原輔子
引用元Wikipediaより

藤原邦綱は、1181年に平清盛が病死すると、その直後に亡くなります。

娘の藤原輔子はというと、清盛の五男・平重衡に嫁ぎ、とてつもない悲劇に見舞われます。

輔子は、1185年の壇ノ浦の戦いにおいて、安徳天皇とともに海中へ身を投げるも、建礼門院とともに救出されます。

その後、輔子は夫・重衡が捕えられ、南都の僧兵に引き渡されたことを知ります。

重衡は、東大寺の大仏殿を焼き、南都の僧兵から恨みをかっていたのです。

奈良・東大寺・盧遮那仏

処刑される寸前の重衡と再会した輔子は、夫との別れを惜しみながら、号泣したといいます。

その後、輔子は建礼門院(平清盛の娘)とともに、出家して静かに暮らしたといわれています。

この平重衡と藤原輔子の別れのシーンは、平家物語でも指折りの名シーンとなっています。

大河ドラマ「義経」でも、このシーンはとても印象的に描かれていました。

余談かもしれませんが、紫式部の子孫は、壇ノ浦の戦いで海中へ没しています。

藤原惟規も、紫式部も、子孫は平家と縁があるのです。

紫式部の子孫については、以下のリンク記事で詳しく解説してます

歴史専門サイト「レキシル」
紫式部の子孫の現在とは?家系図でその末裔をわかりやすく簡単に解説 | 歴史専門サイト「レキシル」 皆さんは、紫式部の子孫が誰なのかを、ご存知でしょうか? この記事の内容を簡単にまとめますと以下のとおりです。 現在の天皇陛下は、紫式部の子孫にあたられる 平清盛の...


スポンサーリンク


藤原惟規の【死後に起こった歴史的な出来事】とは?

【結論】藤原惟規の死後、三条天皇の即位、という事件が起こりました。

藤原惟規の死と同じ年、一条天皇が崩御、つまりお亡くなりになられました。

そのあとを継承したのが三条天皇です。

三条天皇
引用元Wikipediaより

この三条天皇にも、藤原道長が娘の藤原姸子きよこを嫁がせました。

ところが三条天皇と藤原道長は、仲がよくなかったといいます。

そのため道長は、自分が思うような政治を行えなくなり、三条天皇を天皇の位から引きずり下ろそうとします。

三条天皇は眼病をわずらっていたため、自分の子を次の皇太子にすることを条件にして、後一条天皇(一条天皇の子で、道長の孫)に位をゆずります。

後一条天皇が即位すると、道長は自分の子である藤原威子たけこを妻として嫁がせます。

1018年、藤原威子を天皇に嫁がせたことで、娘三人を天皇に嫁がせたという前代未聞の偉業を達成。(一家三立后いっかさんりつごう

これにより道長は、権力の頂点を極めます。

「この世をば 我が世とぞおもう 望月もちづきの かけたることも なしとおもえば」

(この世はまるで私のためにあるようだ。満月のように欠けたところなど何もない)

有名な望月の歌を披露したのは、その直後のことです。


スポンサーリンク


まとめ

この記事をまとめますと、以下の通り

この記事を短く言うと

 

1,藤原惟規の『死因』は?

死因は病死

 

2,藤原惟規が【亡くなった日時】は?

西暦1011年(寛弘8年)に亡くなった、享年38歳

 

3,藤原惟規の【最後の様子】とは?

最後の様子は、辞世の句を記したものの、最後の一文字を書く前に力尽きた

 

4,藤原惟規の【最期の言葉】とは?

辞世の句は

みやこには 恋しき人の あまたあれば なほこのたびは いかむとぞおもふ

 

5,藤原惟規の【子孫】とは?

子孫は、平家物語にも登場する藤原輔子

 

6,藤原惟規の【死後に起こった出来事】とは?

死後に、三条天皇の即位、という事件が起こった

以上となります。

本日は当サイトへお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。

大河ドラマ「光る君へ」登場人物・一覧の記事はコチラ
あわせて読みたい
大河ドラマ「光る君へ」のキャスト相関図まとめ!登場人物の最後と死因そして子孫をわかりやすく紹介 2024年の大河ドラマ「光る君へ」の登場人物をまとめてご紹介! 死因と最期そして子孫のゆくえなどを、まとめて解説! それぞれの人物の詳細は、リンク記事をご覧い...
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次