この記事では、伊藤博文の最期の様子について、ひと目で分かるようにまとめました。記事の内容をかんたんにまとめると、以下のとおりです。
- 伊藤博文の死因は、ピストルで腹部を撃たれたことによる暗殺。
- 暗殺の犯人は朝鮮人独立運動家の安重根(あんじゅうこん)
- 伊藤博文は、最期に「俺を撃ったりして馬鹿なやつだ」と言った
- 伊藤の死後、韓国は日本へ併合された。
これを読んで、伊藤博文の最期についての疑問を、スッキリと解消していただければ幸いです。
専門サイト「最期と死因ドットコム」へようこそ。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしくださいませ。
伊藤博文の【死因】と【亡くなった日】
伊藤博文の【死因】
伊藤博文の死因はピストルによる【暗殺】です。
朝鮮人独立運動家・安重根に、ブローニング社製のピストルで3発撃たれて伊藤博文は亡くなりました。
現場は、現在の中国黒龍江省にあるハルビン駅です。
3発のうち2発が致命傷で、銃撃された30分後に伊藤博文は亡くなっています。
伊藤博文が【亡くなった日】と【享年】
【1909年(明治42年)10月26日】
享年69歳
伊藤博文の【最後の言葉】と【暗殺の動機】は?
【最後の言葉】
伊藤博文は、自分を撃ったのが朝鮮人だと知ると
「俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ」
(別の説によると、犯人が朝鮮人だと知ると伊藤は「そうか!馬鹿なやつだ」と言ったという)
と発言したといいます。
また、伊藤博文の孫・伊藤満州雄さんの話によると
「俺はだめだ。誰か他にやられたか?」
と周囲に質問し、秘書官だった漢詩人・森槐南が負傷したことを知ると
「森もやられたか。」
と言ったといいます。
これが最後の言葉になりました。
ちなみに、森槐南はこのとき軽傷で、その後1年半の後に亡くなっています。
安重根が伊藤博文を暗殺した【動機】は何?
安重根が伊藤博文を暗殺した動機は
「韓国の独立と東洋の平和を成し遂げるために、伊藤博文という悪の親玉が邪魔だったから」
と、安重根が自ら裁判で主張していました。
しかも安重根は、裁判で伊藤博文を暗殺した15個の理由を述べています。
- 韓国の王妃・閔妃(びんひ)を暗殺した
- 第二次日韓協約という韓国にとって不利益な条約を結んだこと
- 七か条の条約という韓国にとって不利益な条約を結んだこと
- 韓国皇帝の廃位を企んだこと
- 韓国の軍を解散させたこと
- 韓国の独立義兵団を虐殺したこと
- 韓国政治の権利を奪ったこと
- 韓国学校の教科書を焼却したこと
- 韓国人に新聞の購買を禁止したこと
- 韓国人に利益とならない銀行券を発行したこと
- 韓国民に国債を負担させるなど、不利益を押し付けたこと
- 韓国の意思を無視して、韓国に不利益な施設を運営していたこと
- 韓国の皇帝を廃するなど、その他にも東洋の平和を乱したこと
- 孝明天皇を暗殺したこと
- 韓国民が怒っているにもかかわらず、日本の天皇や世界に対して、韓国は平穏無事であると言って欺いていたこと
ちなみに、これらのほとんどが的はずれなものでした。
この中にある「韓国と日本の条約」は、国際法を守った正当なものであり、決して不当なものではなかったといわれています。
さらに「孝明天皇を暗殺した」という主張は、全くのデタラメと言わざるを得ません。
明治天皇の父・孝明天皇が急に崩御されたことは事実ですが、そのとき伊藤博文は長州藩で身分の低い立場にいました。
天皇を暗殺するなど、とても不可能な身分だったのです。(岩倉具視や大久保利通が暗殺したという都市伝説はあるが、可能性は極めて低い)
2022年7月8日午前11時30分頃、奈良県奈良市において、元内閣総理大臣・安倍晋三さんが襲撃され亡くなられました。
伊藤博文の時代から113年が経過したにもかかわらず、歴史は繰り返されてしまったのです。
伊藤博文暗殺の結果、起こったこととは?
伊藤博文は韓国を日本と併合することに当初反対していました。
伊藤が亡くなると、韓国は日本と併合して消滅します。
結果として伊藤暗殺は、安重根の目論見と逆に、彼の祖国・韓国の消滅を加速させてしまったのです。
作家・上垣外憲一さんの著書「暗殺・伊藤博文」には、こんな言葉が記されていました。
「伊藤の死が(日本と韓国の)併合を早めたことは事実だろうが、それが伊藤の意志であったということは、決してない」
安重根の暗殺は、結果として祖国である韓国消滅を早めてしまったのです。
伊藤が最後に「俺を撃ったりして馬鹿なやつだ」と言ったのは、そういうことです。
伊藤が生きていたら、韓国の消滅は、せめて遅らせることくらいはできたはずなのです。
余談ですが、伊藤博文のライバルだった大隈重信もまた、韓国を併合することに反対していたようです。
伊藤博文暗殺については、以下のリンク記事で、さらにくわしく解説しております。
まとめ
この記事をまとめますと、以下の通り
この記事を短く言うと
1,伊藤博文の『死因』は?
伊藤博文の死因は、ピストルによる【暗殺】
朝鮮人独立運動家・安重根に、ピストルで3発撃たれて亡くなった。
2,伊藤博文が【亡くなった日】は?
1909年(明治42年)10月26日
享年69歳
3,伊藤博文の【最後の言葉】とは?
「俺を撃ったりして馬鹿なやつだ」または「森(槐南)もやられたか」
4,安重根が伊藤博文を暗殺した【動機】とは?
安重根は、東洋の平和を実現するために、韓国の皇帝を廃位させたり、日本の孝明天皇を暗殺したりした伊藤博文を暗殺した、と主張している。
しかし安重根が主張した動機は、どれもこれも的はずれなものだった。
以上となります。
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