【井上馨】の死因と最後をわかりやすく解説!渋沢栄一とはどういう関係だったのか

井上馨(いのうえ かおる)の【死因】や【最後の様子】について、短くまとめると、以下のとおりです。

  1. 井上馨の死因は、脳溢血、尿毒症による皮膚炎、心臓麻痺など。
  2. 井上は、1915年(大正4年)9月1日に亡くなった。享年79歳。
  3. 井上と渋沢栄一は、明治政府でともに仕事をした間柄。信頼しあった上司と部下という関係だった。

この記事では、井上馨の最期の様子について、ひと目で分かるようにまとめました。

井上馨の最期と死因について知りたい方にとって、この記事は必ずお役に立つはずです。

これを読んで、井上馨の最期についての疑問を、スッキリと解消していただければ幸いです。



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どうぞ、ごゆっくりお過ごしくださいませ。

井上馨の【死因】と【亡くなった日】

井上馨の【死因】

井上馨の死因は

  • 【脳溢血】
  • 【尿毒症による皮膚炎】
  • 【心臓麻痺】

など。

井上馨
「引用元ウィキペディアより」

 

亡くなる2年前に脳溢血で倒れ、1月前には尿毒症による皮膚炎でコップ一杯分の皮膚が剥がれ落ち、最期は心臓麻痺により眠るように亡くなったという。

井上馨が【亡くなった日】と【享年】

1915年(大正4年)9月1日

享年79歳

井上馨の【最後の様子】は?

井上馨は、脳溢血で倒れた2年半後に、尿毒症の皮膚炎を発症し、最期には心臓麻痺によって亡くなりました。

1913年(大正2年)1月27日、井上は脳溢血で倒れます。

このとき、意識がハッキリしていたものの、左手など身体の一部に麻痺が残ったとのことです。

その後、井上は杖をつかって散歩ができるほどに回復。

政界から一歩退いた井上でしたが、世の中は激しく移り変わっていました。

ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発し、日本もその流れに巻き込まれていったのです。

1915年8月、発熱と発疹によって、それまで旺盛であった食欲が失われていきました。

8月31日、昼食後に嘔吐し、発熱。

9月1日、井上は朝食をしっかりと食べたあと、自らが静養していた静岡の別荘のとなりにあった農事試験場でとれたメロンを大正天皇へ献上するようにと、伊藤博邦に指示。

その直後に心臓麻痺を起こして危篤状態におちいり、意識不明となります。

1915年9月1日午前11時11分、井上馨は、眠るように息を引き取りました。

このとき、日本では大隈重信による第二次大隈内閣です。

大隈重信
引用元ウィキペディアより

大隈を内閣総理大臣に推薦した一人が、井上馨だったわけですが、第二次大隈内閣は日英同盟を口実に第一次世界大戦に参戦し、中華民国へ対華二十一カ条要求などをおこなっています。

井上馨と渋沢栄一の関係とは?

井上馨と渋沢栄一は、上司と部下という関係でした。

すぐにブチギレる井上馨は、雷親父というあだ名で呼ばれていました。

ところが渋沢栄一がそばにいると井上の雷が誰にも落ちなかったため、渋沢は避雷針とあだ名されていました。

渋沢栄一
引用元ウィキペディアより

渋沢栄一は井上馨について

本当の避雷針は井上さんだった。

井上さんが体を張って私を守ってくれたから、私は好きなように仕事ができた。

と語っています。

また、井上馨は天皇から組閣の大命、つまり次の内閣総理大臣に指名された際に、大蔵大臣に渋沢栄一を指名しました。

ところが渋沢栄一は、民間から官へ戻ることを拒絶し、大蔵大臣就任を断ったのです。

渋沢栄一という右腕から断られた井上馨は、結局組閣を断念し、総理大臣になることなく生涯を終えました。

しかし井上はその後、総理にならなくてよかったと言って、大蔵大臣就任を断った渋沢に感謝を述べたという逸話が残っています。

二人は信頼関係で結ばれた上司と部下だったのです。

渋沢栄一は、井上馨が亡くなった16年後の1931年(昭和6年)11月11日に、91歳で亡くなっています。

参考文献

今回の記事では、堀雅昭さんの著書「井上馨~開明的ナショナリズム~」を参考にさせていただきました。

まとめ

この記事をまとめますと、以下の通り

この記事を短く言うと

 

1,井上馨の『死因』は?

  • 【脳溢血】
  • 【尿毒症による皮膚炎】
  • 【心臓麻痺】

など

 

2,井上馨が【亡くなった日時】は?

1915年(大正4年)9月1日

享年79歳

 

3,井上馨の【最後の様子】とは?

井上馨は亡くなる当日、朝食を食べ終わり、メロンを大正天皇へ献上するように指示した直後、心臓麻痺によって眠るように亡くなった。

 

4,井上馨と【渋沢栄一の関係】とは?

二人はともに明治政府で仕事をした上司と部下。二人は信頼関係で結ばれた、理想的な上司と部下という関係だった

以上となります。

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