藤原道長の妻・源倫子の【死因】や【最後の様子】について、短くまとめると、以下のとおりです。
- 源倫子の死因は、老衰または病死
- 西暦1053年6月19日(天喜元年6月1日)に亡くなった、享年90歳
- 辞世の句または最後の言葉は不明
- 現在の天皇陛下または元首相・細川護煕さんという子孫がいる
- 死後、後三条天皇の即位と延久の荘園整理令、という歴史的事件が起こった
この記事では、源倫子の最期の様子について、ひと目で分かるようにまとめました。
源倫子の最期と死因について知りたい方にとって、この記事は必ずお役に立つはずです。
これを読んで、源倫子の最期についての疑問を、スッキリと解消していただければ幸いです。
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どうぞ、ごゆっくりお過ごしくださいませ。
源倫子の【死因】と【最後の様子】
源倫子の【死因】
【結論】源倫子の死因は、老衰または病気
源倫子は、当時としては珍しく90歳まで生きています。
この年齢は、現在でも老衰死しておかしくない年齢です。
正確な死因は不明ですが、病気または老衰で亡くなったと考えるのが自然でしょう。
源倫子が【亡くなった日】と【享年】
【結論】西暦1053年6月19日(天喜元年6月1日)、享年90歳
源倫子の【生涯年表】
源倫子の生涯を、ザッと解説いたします。
西暦 | 出来事 |
---|---|
964年 | 左大臣・源雅信の娘として誕生 |
987年 | 藤原道長と結婚 |
988年 | 長女・彰子(後の一条天皇中宮・上東門院)誕生 |
992年 | 長男・頼通誕生 |
994年 | 次女・妍子(後の三条天皇中宮)誕生 |
996年 | 三男・教通誕生 |
998年 | 従五位上、従三位に叙位 |
999年 | 四女・威子(後の後一条天皇中宮)誕生 |
1000年 | 彰子、一条天皇中宮となる |
1006年 | 正二位に叙位 |
1007年 | 五女・嬉子(後の東宮敦良親王妃、後冷泉天皇母)誕生 |
1008年 | 従一位に叙位 |
1016年 | 道長と共に准三宮となる |
1027年 | 藤原道長・薨去 |
1039年 | 出家 |
1053年 | 90歳で薨去 |
源倫子の【辞世の句】または【残した言葉】とその意味を解説
【結論】源倫子の辞世の句、または源倫子が残した言葉は、不明です
辞世の句や最後の言葉については、記録がありません
源倫子の【子孫】は、どうなったのかを解説
【結論】源倫子の子孫には、現代の天皇陛下、または元内閣総理大臣の細川護煕さんがいる
源倫子と藤原道長のあいだに生まれた子供を通じた子孫が、現在の天皇陛下です。
倫子の娘・藤原彰子が、一条天皇とのあいだに儲けたのが、後一条天皇と後朱雀天皇です。
その血筋は、その後も天皇家で続き、現在の天皇陛下にも受け継がれています。
また、倫子と道長の子である藤原頼通を通じて、子孫が藤原氏に受け継がれています。
藤原氏はその後、五摂家と呼ばれる五つの家に分裂します。
その一つが近衛家です。
近衛家から、戦前の内閣総理大臣・近衛文麿が誕生しています。
藤原道長と源倫子の子孫である近衛文麿は、戦後まもなく自決しています。
その近衛文麿の孫が、元内閣総理大臣の細川護煕さんなのです。
藤原道長の子孫は、そのほかにも、明治神宮の宮司さんなどに引き継がれています。
源倫子の【死後に起こった歴史的な出来事】とは?
【結論】源倫子の死後、後三条天皇の即位、という事件が起こりました。
源倫子の死後、藤原道長と倫子のひ孫にあたる後三条天皇が即位するという事件が起こりました。
なぜこれが事件なのかというと、後三条天皇が、道長と倫子がつくりあげた藤原氏の栄華を終わらせる人物だからです。
後三条天皇は、これまで藤原氏が摂関政治を行っていた政治体制に反発を覚えます。
そして、自ら政治をおこなう、つまりは天皇の親政を開始するのです。
後三条天皇は、「延久の荘園整理令」を発令します。
これは、荘園つまり貴族の私有地を没収する法令なのですが、この法令で藤原氏は、収入源だった莫大な荘園を失うのです。
こうして藤原道長がつくりあげた栄華は、終わりをむかえることになります。
後三条天皇はわずか40歳で亡くなるのですが、その子である白河法皇は、院政で絶大な権力を手に入れます。
その白河法皇の死後に権力を握ったのが、白河法皇の隠し子ではないかと噂された、あの平清盛です。
忠ならんと欲すれば孝ならず。
孝ならんと欲すれば忠ならず。
進退これ極まれり。
平家打倒の「鹿ヶ谷の陰謀」を知り、清盛は激怒していました。
後白河法皇を幽閉しようとする平清盛に対して、このように言って止めようとした人がいました。
それは清盛の子であり、紫式部の末裔である、平重盛でした。
まとめ
この記事をまとめますと、以下の通り
この記事を短く言うと
1,源倫子の『死因』は?
死因は、老衰または病死
2,源倫子が【亡くなった日時】は?
西暦1053年6月19日(天喜元年6月1日)、享年90歳
3,源倫子の【最後の様子】とは?
最後の様子は、不明だが、娘たちや夫に先立たれ、静かな最期だったと考えられます
4,源倫子の【最期の言葉】とは?
辞世の句または最後の言葉は、不明
5,源倫子の【子孫】とは?
子孫は、現在の天皇陛下、または元首相・細川護煕さん
6,源倫子の【死後に起こった出来事】とは?
死後に、後三条天皇の即位と延久の荘園整理令、という事件が起こった
以上となります。
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